花の命は短くて…

 花の命は短くて苦しきことのみ多かりき

 

 最近気がつくと口ずさんでしまう詩です。林芙美子さんが、女性を花に例えて…歌っています。

 楽しい若い時代は短く、苦しいことばかり多いのが、人生である。本当に若い時間は.あっというまに過ぎ去っていきました。

 年齢を重ねるたびにこの歌が胸に沁みわたります。

 私は明治、大正時代の女性達の生き様に引かれます。強く、逞しく、潔く、そして謙虚で気品が溢れていて憧れを通り越して崇拝しています。憧れの人の名をあげたらキリが無く、そして明治、大正時代の女性の話をすると止まらなくなるので、友人の前では、あまり話さないようにしています。

 

 コロナ禍になる以前に新宿区中井にある林芙美子記念館を訪れました。

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 林芙美子さんの作品、「放浪記」と「めし」は読ませていただきました。

 「放浪記」は森光子さんのでんぐり返しで有名な舞台を思い浮かべますね。今は、仲間由紀恵さんに受け継がれているようです。

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 林芙美子さんは、本名フミコ。戸籍上は、1903年12月31日生まれになっていますが、後に本人が1904年5月に生まれたと記しています。母は林キク…父は、キクより14歳若い宮田麻太郎です。父の認知が得られなかったため、キクの弟の林久吉さんの姪として入籍されたようです。

 出身地も定かではなく近年研究によって問司市が有力になっているとの事でした。

 1922年女学校を卒業したばかりの芙美子さんは、恋人を追って東京に出てきます。けれど恋人に裏切られて、「放浪記」の原型「歌日記」を綴りはじめます。そして尾道で少しの間生活しますが、再び東京に上京して、セルロイドの工場の女工の仕事などをします。そしていろいろな恋人と別れを繰り返し、1926年手塚緑敏さんと出会い事実上の結婚生活をはじめます。

 それから1931年ヨーロッパに出発します。欧州から帰国後作家として不動の地位を手にしますが、戦争に直面します。

 戦後、戦争で傷ついた復員兵や女性達の理不尽な生を描き新たな作家活動を再開します。

 1943年男の子を養子に迎え泰と名付けます。

 そして1951年、芙美子さんは47歳の若さで亡くなりますが、それまでに数多くの名作を生むのでした。

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 花の命は短くて苦しきことのみ多かりき…

 

 私は、気がつくとこの詩を地紋のように繰りかえしている自分に驚くのでした。

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     「赤い蝋燭と人魚」

   小川未明 作   酒井駒子 絵

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 大正10年に発表された。新潟県上越市雁子浜の人魚伝説から得た発想の作品です。

 当時から雁子浜に蝋燭屋が現在していてそこがモデルとされています。

 人間の優しさに幻想を描いた人魚のお母さんが、老夫婦に子供を託します。しかし人間の残酷さ、身勝手さ、欲深さに裏切られてしまう人魚のおはなしです。

 とてもとても切なくて自分が人間である事が悲しくなります。

 小川未明さんは、日本のアンデルセン、日本の文学の父と言われています。

 この本では酒井駒子さんの描く絵があまりにも美しく、古典的な童話である事を忘れてしまいます。どうぞ機会があれば手に取っていただきたい1冊です。