105年前の今日の出来事
今から105年前の今日、11月8日に、葉山で「日陰茶屋事件」と呼ばれる出来事がありました。
アナキストである大杉栄さんが新聞記者の神近市子さんに首を刺されれて重症を負う事件がありました。ちょっと軽く説明をさせて頂きます。(さんを省略させて頂きますね。)
大杉栄は、フリーラブ(自由恋愛)を唱えます。堀保子と言う妻がありながら…神近市子を恋人とし…
夫そして息子をもつ伊藤野枝とも恋仲になります。
大杉栄は、神近市子から経済的に援助してもらったお金を伊藤野枝との密会のために使っています。その事に嫉妬と絶望感を覚えた神近市子は、大杉栄の首を切りつけたのでした。
この記事が、姉が読んでいた雑誌に掲載されていて…姉が、興味をもち私にかいつまんで内容を説明してくれました。
当時19歳だった私は、衝撃をうけ…雑誌の記事を繰り返し読むのでした。
こうして私は伊藤野枝という人に興味をもち、のめり込んでいくのでした。
日陰茶屋事件の時…野枝は、21歳です。
伊藤野枝は1895年1月21日に福岡県今宿村に生まれ、東京の上野にある高等学校上野高等女学校に入学します。
そこで、後に夫となる、英語教師のダダイストである辻潤と出会います。福岡に帰省した際に親に決められた人と婚約をさせられ…そして結婚までさせられてしまうのですが、その後逃げるように東京に上京し辻潤の家に転がり込み同棲を始めるのでした。非難を浴びた辻潤は、あっさり教師の職を捨ててしまいます。そして野枝にありったけの知識を授ける事に熱意を傾けます。
それからの野枝は、様々な社会の矛盾や問題に目を見開いていくのです。婦人解放運動に目覚め、平塚らいてうから青鞜を引き継ぐほどまでになりますが…青鞜は休刊してしまうのです。そして廃刊となります。
けれどもです…辻潤といい大杉栄といい、伊藤野枝にひかれ、夫となる人達は、ことごとく大物ばかり…そんな野枝の持つ魅力はきっと底知れないものだったと思います。
辻潤との間に2人、大杉栄との間に5人のお子さんがいます。彼女のカリスマ性、奔放さに、当時の女性らしからぬ力強さを感じてしまうのです。
ところが、関東大震災の次の日…
大杉栄と伊藤野枝そして甥っ子の橘宗一は、反社会的な危険分子という理由で、甘粕正彦らによって、どさくさに紛れ、憲兵隊構内で扼殺されて…野枝は古井戸の中に捨てられる、という悲しい最期を迎えます。
1923年9月16日享年28歳と言う若さで🥲
けれど…私は思うのです.28歳の野枝の人生は、人の何倍もの深い生涯だったのではないかと…
私の明治、大正の女性への憧れは、伊藤野枝にはじまり、沢山の方に目移りしながらも最後は、やはり伊藤野枝に終わるのでした。
今回のテーマが、重厚すぎて…絵本を選ぶ事ができませんでした💦次回は楽しいおはなしをご紹介したいと思います♪