行きたいな弥生美術館
今日のおやつ
三方六の「春がさね」
いちごミルクの柔らかいバームクーヘンでした!
とーっても美味しいです♪
話は急に変わりますが、わたしの宝物をご紹介させていただきます!
若かりし頃…良く通っていた…
竹久夢二美術館…弥生美術館で購入しました。
以前明治大正の女性に憧れているとおはなしした事があります!
伊藤野枝と大杉栄のおはなしをブログに上げさせていただきました(お名前にさんを省略させていただきます)
その際…三角関係が絡れて神近市子が大杉栄を刺してしまうお話しがありました。
その神近市子がよく色々相談していたのが、竹久夢二と知り
竹久夢二をまた掘り下げていったわたしでした。
竹久夢二は、24歳の時2つ上の未亡人だった岸たまきと結婚します。
勝気でヒステリックなたまきと気の弱い夢二は、いさかい続きでした。同棲、別居を繰り返しながら2人の関係は続き…3人の息子が生まれます!
そんな夢二が、たまきとの別離を決定したのは、港屋(夢二とたまきの絵はがきのお店)に来ていた…女子美術学校に通う笠井彦乃との出会いでした。
けれど…彦乃の父の強い反対で、なかなか二人はあえません
それが二人をいっそう深く結びつける結果となり…夢二は彦乃と共に、夢二とたまきの間にできた子…次男の不二彦を連れて、
京都で3人で過ごします。
この時期が夢二にとって、もっとも幸せな時間だったと言えたのでしょうか?
けれど…彦乃が25歳という若さでこの世を去り
この恋は終焉を迎えます。
彦乃の存在は、生涯夢二の心をとらえて離さなかったようです。夢二が身につけていたプラチナの指輪には、「ゆめ35しの25」と刻まれていました。
しのとは、夢二が彦乃に与えた名前でした。
彦乃の死によって打撃をうけた夢二でありましたが…
その後旧友が連れてきたお葉というモデルの女性が現れ…再び制作意欲を燃やします!
初期の作風は、たまきによって生まれ
そして…彦乃に受け継がれ…お葉で完成されたと言われています。
夢二を語るには、この3人の女性の存在なくしては、語れないと言っても過言ではありません。
1934年9月1日夢二享年51歳
信州富士見の高原診療所で最期を迎えるのでした。
沢山かいつまんでお話ししてしまいましたが…
竹久夢二の作風は、3人の女性以外幾人かの方をモデルにしているものも沢山あります。
「まてど暮らせど来ぬひとを…♪」で有名な
「 宵待草」は、谷川カタにむけて
片想いのやるせない思いを詩に託し…
絵も描いています。
ともかく…夢二は綺麗な女の方が好きだったようですね😄
『待てど暮らせど来ぬひとを』
竹久夢二と彦乃との恋愛を描いた長編小説
いろいろな背景が描かれていて…読みやすいです。
夢二と彦乃だけに絞った小説を読んでみたい方には、おすすめです!
夢二の彦乃への深い愛を感じてみてください